恋人もできなければセフレすらもできないのだからどうしようもない

恋人もできなければセフレすらもできないのだからどうしようもない

 

何が正解か? 恋愛においてその答えはないということ、わかってはいるのに自問自答が止まらない。正解はきっと人それぞれで、置かれている状況によっても移り変わるもので、無償の愛とか、立派なことで憧れちゃうけど今のわたしにはずっとずっと遠い。

もう、"自分の欲望を晴らすこと"がとりあえずのゴールになってしまっている。

 

こんなこと書くとビッチか?と思われてしまいそうだけど、そう揶揄するのはわたしの話をちょっと聞いてからにしてほしい。

 

というのも、この記事のタイトルにもあるように彼氏もできないしセフレもできない。

いや、セフレどころかワンナイトすらできない。正真正銘の処女だ。ちなみに来年25になる。やらずのアラサーとかいう、少し前まで現実味の全くなかったいやな言葉が、すぐそこまで来ている。

 

この話をすると、大抵の人はありがたいことに(ありがたいのか?)驚いた、または驚いた風のリアクションをしてくれる。

"彼氏は?""好きな人いたことないの?"

 

好きな人はそれなりにいたが、彼氏はできたことがなかった。

 

何が不満かって、あけすけに言えばみんなが出来ていることが自分には出来ないことが不満だ。

電車で向かいに座る、あきらかに冴えない男が薬指に指輪をはめているのを見たとき、街を歩くいい歳した馬鹿そうなカップルを見た時、いつも不思議でしょうがない。べつに彼らをディスっているわけではない。そういうときは彼らに尊敬の念すら抱くし、ただただ自分が不思議で、しょうもなく落ち込むのだ。

 

ことあるごとにこんな事を考えていると、承認欲求おばけに成り果ててセフレずぶずぶのセックス依存症にでもなってしまいそうなものだ。

 

だけどわたしは出来なかった。過去形にするのもおかしいか、今の今まで出来ていない。処女を捨てられずにいるからだ。

 

自分が人並みの恋愛経験を積めなかった要因を考えてみる。義務教育を共学校で過ごし、それなりの私立大学に入学して良くも悪くも4年間、ぜいたくな時間の使い方をして遊んだ。幸い友だちも人並みにはいるし、そういう、いわゆる男女が出会えるような、けどイヤらしくない飲み屋にわたしを慮って連れ出してくれる先輩もいる。

 

そう、少し話が脱線するが、このイヤらしくないけど男女が出会える飲み屋、具体的にいうと三軒茶屋や野毛のせまーいカラオケバーであったり立ち飲み屋だったりするのだが、通い始めたらいかんせん楽しくてハマってしまいそうな自分がいる。

ただ、ここでの経験が"セフレすらもできない"の所以だったりするのだ。

 

まず出会う男の子は揃いも揃ってみんな年下なのだが、まだその歳なの?とびっくりするくらい、垢抜けていて、おしゃれで、遊び方も女の子の扱いもソツがないように見える。

 

そういう、いわゆる"難易度の高い"男の子たちと、せまい飲み屋で訳が分からなくなってるうちにLINEやインスタのIDを社交辞令的に交換して、気に入られればちょっかいをかけ合ったり、お店を抜け出してくちびるを合わせたりする。

 

ここでだ、ワンナイトをそれなりに楽しめる人は互いの欲望のままセックスして、朝を迎えて、初めて足を踏み入れた部屋で自己嫌悪に陥るなり惰眠をむさぼるなりするのだろう。

 

でもわたしは処女で、それをいつも正直に相手に伝えてしまう。

飲み屋を抜けてみても、みんなわたしが直前で処女だと口を滑らせると動きを止めてくれるのだ。優しいんだか、冷たいんだか。

 

どこかで、処女であることを喜んでほしい気持ちがあるのかもしれない。書いていて、自分でもなんて甘くておめでたい思考回路なんだろうと辟易する。

性欲の塊みたいな20代前半の男の子たちは、そんな面倒な女をわざわざ相手にするより、遊びなれた可愛い女の子を選ぶのが普通ってものだろう。わたしだって自分が男だったら、年上処女なんか地雷っぽくて相手にしたくない。

 

もう、処女を捨てるには処女を隠し通すしかなさそうなのだ。

 

べつに飲み屋でそんな出会い方をして、そんな処女の捨て方をしなくていいでしょと思うだろう。

私だって、好きになれそうな人と健全なシチュエーションで出会って、気持ちを大事に育み、素直に気持ちをぶつけて、そういう"ちゃんとできた"恋愛の上で処女を卒業したい。

 だけどもう、24年間、真っ当な経験値を積めないでいるわたしに、ちゃんと段階を踏む恋愛ができるとは思えないのだ。全部、自分が一歩を踏み出せないことが悪いとわかっているからこそ、その一歩が果てしなく重くてむずかしい。

 

恋愛において、"自分の欲望を晴らすこと"がとりあえずのゴールなってしまっている、と冒頭で述べてみたが、それが恋愛でもなんでもない、ただの独りよがりだってことにも薄々気づいている。

 自分の欲望のために、相手を搾取するのは愛ではない。そんな自分勝手は相手に失礼だ。

でもセフレだったらいいのか? win-winの関係ってやつなのだろうか?

 

今の自分は、はやく処女を捨てたい気持ちと愛ってやつを交換し合いたい気持ちと承認欲求を満たしてもらいたい気持ちでこんがらがってしまっていて、結局は何がしたいのかと、馬鹿みたいなことで傷ついて、情けない顔で朝の改札をくぐったり、軽い癇癪を起こしながら布団を蹴ったりしている。

 

自分の価値は自分が一番わかっていて、いつだって自分が自分のことを一番好いてきたと思う。

そうやって自分を守って生きていても、恋愛もセックスもできない自分は人としての価値がないのだろうか?

雨の日に顔を出す偏頭痛みたいに、ふとしたきっかけで卑屈な気持ちに覆われるときがある。

 

そんな馬鹿なことあるか、と頭ではわかっているんだけどね。

 

いまどきの若者みたいに、恋愛しなきゃダメですか?って、その恋愛ありきのステレオタイプに疑問を持っているわけではない。恋愛したいのにできないから苦しい。

もし、そう遠くない将来に漫画《ルポルタージュ》のような世界が待っているとしたら、わたしは小さくホッとして、でもぎごちない顔で、その世相に乗っかるんだろう。この恋愛コンプレックスを内にしまい込んで。

 

なんで平成最後の日にこんなことを書いてるんだろうか。このテキストが笑い話になる未来がくるといいけれど。

 

 

ルポルタージュ‐追悼記事‐(1) (モーニング KC)

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